友達は「できる」もの?
恋人は「できる」もの?
子供は「できる」もの?
あなたは、誰に「作られた」の?
「なんで?」は重要。
けれど、それは過去に対しては、当てはまらない。
「なんで?」は、今、流れる事象に、有効なのだから。
過去って言っても、「自分の!」ね。
歴史に「なんで?」は重要だもの。
あゝ、そうこうしてても、考えてしまう。
記憶って、虚像?実像?
「ある」ことを、自分以外の人が、どうやって証明出来るのか?
日時、場所、事象。それらを他人と共有すれば、「ある」ことになるとしたら、他人と共有出来ない記憶の存在証明はどうする?
そこにあるものは、本当に、そこにあるのでしょうか?
感覚って、百人居れば百人の、万人居れば万人の違いがある、と思いますの。
冷たさ、温かさ、寒さ、暖かさ、、、
あなたの痛みは、共有出来ない。
あなたの喜びは、共有出来ない。
真の意味で。
だからそれは、そんな気になっている。多分、それだけ。
共有出来ない。
けれど、
共感はする。
感覚って、不思議。
偽善と善の違いって、さ。
行う者の裏側を見るから、そう思うのじゃなかろうか?
表は善人。
裏は悪人。
善行は、素直に受け止めた方が、良いと思うの。
群れて創作するのって、楽しいのかな?
孤独に打ち込むことしか、分からない。
世代…かな?
創作に、ストイックになればなるほど孤高を目指すのは、過去の物語かもな。
人生ってやつは、ルーレットじゃなくて、パズルなのかもな。
真っ先にハマるピースと、最後まで取り残されるピース。
朧げに見えても、完成するまで意味を為さない絵。
そして、完成が新たな始まり。
時は過ぎ去る。
時は駆け足。
時が来る。
どれもホントで。
どれもニセモノで。
他所様が何を考えているのなんか、分からないでしょ?
自分のことだって分かっているか、怪しいのに。
12月27日の呟きより
コメント